第2メディア通信

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多文化共生社会を目指して~多様性推奨協会会長インタビュー~

現代は多文化社会の様相を呈している。民族主義の時代は終わりを告げ、様々な民族、様々な国籍の人々が共同体を形成する社会になっているのだ。そうした中で、我々が目指していく社会とは一体どのようなものであろうか?今回編集部では独自取材の元、多様性推奨協会会長、水石 陽氏(52)にお話を伺うことができた。会長へのインタビューの全文を掲載する。読者の方々がこれからの社会を考える一助になれれば幸いである。

 

 

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緊張した笑顔を見せる多様性推奨協会会長水石 陽氏

 

――――本日はお忙しい中取材に応じていただきありがとうございます。多文化社会のこれからを考えるということで今日は多様性推奨協会の活動についてお聞かせ願いたいと思いましてお話を伺いにまいりました。よろしくお願い致します。

 

水石氏:よろしくお願い致します。

 

――――まずはじめに、多様性推奨協会の活動とはどのようなことを行っていらっしゃるのでしょうか?

 

水石氏:はい、多様性推奨協会は多文化共生社会の達成を目標とし、全世界の人に多様性の啓蒙を行う活動をしています。多文化が共同体の中で併存するようになった現代において、多様性を受け入れ、多くの文化が共存できるような多文化共生社会の達成は非常に重要な課題です。一人一人が違う信念、違う考え方を持っていることを受け入られるような社会、多様性を認める社会を達成していく必要があるでしょう。私たちはそのための対策を日々考え活動を行っています。

 

――――なるほど、活動内容としては具体的にどのようなことを行っているのでしょうか?

 

水石氏:多様性についての啓蒙パンフレットの26か国語での作成、世界各地での異文化交流イベントの開催、国連への働きかけ、そして実力行使などです。

 

――――実力行使といいますと具体的にはどのようなことなのでしょうか?

 

水石氏:多様性を認めない発言をした人への暴力的制裁行為、ヘイトスピーチ組織への集団的嫌がらせ、民族主義的行動をやめない国家への圧力行為などを中心に行っています。

 

――――様々な活動を行われているのですね。組織の理念とは一体どのようなものなのでしょうか?

 

水石氏:我々は多様性を認める社会の構築が世の中をよりよくするものであると信じて疑いません。そのためには多文化共生という理想をすべての人に確固たる信念として植え付ける必要があります。一人でも多様性を認めないノ―タリンがいたら多文化共生社会は決して成り立たないからです。我々はまず人々一人一人の意識改革が非常に重要だと考えています。そのために実力行使によって、考え方に従わない畜生に対し制裁を行っていくこと、多様性を認めない政府へ圧力をかけていくことはなによりも大切なことであるだと私たちは考えています。多様性を認めない掃き溜め以下の人間たちは一人残らず消し去らなければ理想は達成されません。多様性を認めない人間は蛆虫以下の存在です。

 

――――多文化共生社会において人々が持つべき心の在り方とは一体どのようなものだとお考えでしょうか?

 

水石氏:何よりも多様性を認め、他人の文化の在り様を否定しない、差別しないということが大切でしょう。そのためにも、多様性を認めない考え方を持っている低能どもは徹底して排除するという確固たる信念を持つことも大切です。全世界すべての人がこの考え方を受け入れれば、多文化共生社会が達成され、社会はより良いものになるであろうことを私たちは強く信じています。

 

――――多文化共生社会における国家の在り方とは一体どのようなものだとお考えでしょうか?

 

水石氏:多文化共生を推進し、民族主義的な考え方を排してすべての人々に配慮した細やかな福祉サービスを行っていくことが求められるでしょう。そのためにもそうした政府の方針に従わないゴミのようなやつらは刑法で罰する、警察による監視対象とすることができる、そういった対策も視野に入れながら政府は対応していく必要があるでしょう。また、国民一人一人の権限として、多文化共生を認めない発言をしたカスどもに対して合法的に実力を行使して考え方を改めさせることができるようにする、組織からの追放を合法的に行うことができるようにするなどの措置を進めていくことも多様性を認めることができる社会の達成には必要と言えるでしょう。

 

――――非常に参考になるお話でした。本日はお忙しい中取材に応じていただきありがとうございました。

 

水石氏:一刻も早く全世界の差別主義者民族主義者の糞連中が根絶やしにされ、多様性の認められる社会が築けることを私たちは願っています。

 

文責 吉田 雄三

タイトル「夜明け」

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【解説】

男「やれそうだったから」

女「やりたかったから」

そんな、利害が一致したどこにでもある夜の終わり

を表現しました

 

 

ちなみに、この2つを良く吸う私は高度な自給自足をしているのやもしれません。

そして、そんな夜を私は知りません。

 

文責:HATO

特集 調査数値44%~我々の向かうべき道~

10年間20%台で推移してきた数値が40%まで増加した……いま日本に何が起きているのか。今我々に降りかかる未曽有の危機。我々に未来はあるのか……編集部では専門家の意見も交えながら特集する。

 

数値安定神話の崩壊ーグラフへの影響もー

 

数値の調査が開始された1991年以来初となる深刻な危機が訪れた。2019年3月に行われた社会調査の結果、数値は前年の24%を大きく上回る44%まで増加した。機関の定める危険水準35%を大幅に上回る数値だ。1991年の統計開始以来数値は常に20%台を保ってきた。これまで最大の数値は地下鉄サリン事件に影響された1994年の29%であり、東日本大震災が起きた2011年にも数値の大幅な変動が予測されたが、実際の数値は26%。どのような社会異変が起ころうと数値が30%を越えることはないという”数値安定神話”も機関では囁かれていた。しかし、神話は今年脆くも崩れ去った。

 

現代日本において大きな異変が起きています」

 

数値に詳しい大学の北村義明教授(52)は語る。

 

「数値が40%を越えることは現代国家ではまず考えられません。歴史を紐解けばアメリカで南北戦争の時に49%、ベルリンの壁崩壊時のドイツで47%を記録していますが数例といって間違いありません。それが現代日本で起こっている。これは由々しき事態です。国民の多くが強い社会不安を抱えていることは疑う余地が無いでしょう。」

 

続けて北村教授はさらに一枚のグラフを提示した。

 

「加えてこのグラフを見てください。去年は10000キロを越えていたグラフが今年になると3500キロにまで落ち込んでいます。これは数値が44%になったことが原因です。数値が44%になりグラフが3500キロになることは統計史上初めてのことです。しかしこれは氷山の一角です。図表は300000人を大幅に上回り、データは4.76ミリバールを下回りました。数値が44%を越えたことは他にも様々なことに影響を及ぼしている。日本は深刻な事態であると言わざるを得ないのです。」

 

数値44%社会。日本の行く末はどうなっていくのであろうか。

 

日本のこれからー数値0%を目指してー

 

しかし、まだ希望は残っていると北村教授は語る。

 

「過去の統計から、数値が40%を越えたとしても、一年後の調査で数値が20%を下回り、二年後に0%になった社会は勘定が3兆2072億158万250円を超えるということがわかっています。日本社会も先例に倣い、二年後に数値を0%にすればまだ立て直すことは可能です。」

 

しかし、また、最悪の未来についても北村教授は語ってくれた。

 

「数値が三年後にも30%を下らなかったとき……考えたくありませんがそのときは合計が370hPaを越えることになります……これだけは何としても避けなければなりません……」

 

 

いま日本社会は岐路に立たされている。数値44%、これを日本国民全員が深くかみしめなければならないだろう。勘定3兆2072億158万250円社会となるか、合計370hPa社会となるか……それはこれからの日本国民の行動にかかっている。二年後の数値0%を達成し、合計370hPa社会を避けるためにも、これからの日本国民の行動一つ一つが問われていくのである。

 

文責 吉田 雄三

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では会場でお会いしましょう!!

 

一度きりの人生を楽しもう!

 

 

文責:HATO

【第1回】世界初公開「Qキー推進委員会」に迫る

パソコンは今や生活必需品の一つとなっている.

そのパソコンを操作するときに必要なものがある.

それは,キーボードだ.

多くの人間はこのキーボード操作で情報を入力し,計算,検索,様々なことを行う.

しかし,このキーボードの中で圧倒的に押す頻度の少ないキーがあるのことに気が付いているであろうか?

そう「Q」キーである.

先日,世界インターフェイス委員会(WUIC)のQWERTY配列部門において衝撃的な会議が行われた.その議題は

「Qキーを廃止するか否か」

である.現状,おおむね可決の方向で進んでおり,2022年には各メーカーからQキーが廃止されたPCが発売されると考えられている.

 

たしかに,Qキーは非常に使う頻度が低い.

資源削減と小型化が謳われる昨今では当然の結末といえよう.

しかし,それを快く思わない人間もいることもまた事実である.

それが「Qキー推進委員会」である.

これはQキーを利用する頻度向上を願い2013年に発足した委員会である.

 

今まで,その存在はネット上の都市伝説と考えられていた.しかし,先日我々はその構成員を名乗るものに偶然出会ったのである.

彼曰く

「Qキー推進委員会は身元が割れちゃいけないんですよ.最悪命にかかわりますからね.(中略)WUICでも廃止の方向で動いている.今こそ我々がそれを阻止しないといけないんです」

 

我々は彼らの身元を明かさないことと,顔や声を一切移さないことを条件に取材を交渉した.

数日後,「Qキー推進委員会」から取材の許可が下り,現地へ向かった.

 

Qキー推進委員会とは何なのか.果たしてQキーは必要なのか.また,Qキーとは何なのか....

 

様々な疑問がうごめく中,我々は本部へと向かうのであった.

 

 

(第2回につづく)

 

文責:HATO

連載企画・アートの時間

みなさんはこんな経験ありませんか?とりあえずデートで格好つけて現代アートの美術館に行っても何が描いてあるのかわかんない。何の意味があるのかわかんない。本を読んで学ぼうにも西洋美術の総ざらい本では現代アートは巻末にちょろっと載ってるだけ。挙句の果てには彼女にも頭の悪くて感受性の鈍い人は嫌いよ!とフラれ……

そんなことにならないためにもアートは現代の必須強要!そして現代のアートシーンは確実に現代アート現代アートが理解できれば美術館に行っても楽しみがぐっと広がるはずです!

ということで次回からは現代アートの楽しみ方をもりもりと紹介していくのでお楽しみに!これを読んで君も美術館に行ってドヤろうぜ!

 

文責 吉田 雄三

吉田コラム

情報氾濫の今だからこそモンド

 

観客の見世物的好奇心に訴えかける猟奇的なモキュメンタリー映画の事をモンド映画という。1962年に公開され、日本でも大ヒットしたグァルティエロ・ヤコペッティの『世界残酷物語』の原題が語源だ。内容を見ればスプラッタや人種差別、やらせ映像のオンパレードで、現代的視点から見ればもはやなんらかのお笑いのようともいえる。ドキュメンタリーとは事実に基づいた取材を前提にするものという考え方の基では、映像は美しくとも事実をうたいながらやらせ全開のモンド映画に現代的意義は無いように思える。しかし、果たして本当にそうであろうか。

インターネットが隆盛の時代となり人々はいくらでも簡単に情報を手に入れられるようになった。もはや猟奇的なもの、刺激的なものを手に入れるために映画館まで行かなくてもよくなったのだ。そうした中で、情報が本当か嘘か、有益か無益かの判断はより個人に大きく委ねられるようになった。世に流れるドキュメンタリーと謳うものはノンフィクションと謳いながらもその中には筆者の恣意的な意図が確実に混ざっている。モンドは今世の中に氾濫している状況なのだ。

そうした中で、我々は情報といかに向き合っていけばいいのであろうか。その答えは私も今すぐに結論を出せない。しかし、清濁併せ飲み、モンドをモンドとして楽しむことに、何らかの答えがあるように私は感じる。嘘を嘘として、しかしなんらかの有益性を見出すことに意義があるのではないかと考えたのだ。そうした意味も込めて、サイトの名前には第二メディア通信と名付けた。現在の’第一’メディアとは違う、'第二'メディアとして、無意味の中に意味を見つける作業を読者の皆様とともに行っていければと思う。

 

文責 吉田 雄三